2025年2月22日 ニャンニャンニャン。

Nikon Z8 Z40mm
2月22日でニャンニャンニャンの、”祝”ネコの日である。
我が家の「福」ちゃん。相変わらず聞き分けも良く、穏やかでと、ついつい親バカぶりを露呈してしまうので大概にしておくのが宜しいようで。
ともあれ、福ちゃんはよく喋るのである。特に高齢の域に入ったであろうここ数年は以前にも増してボキャブラリィが豊富である。ヒトが食事の支度を始めると近寄ってきて、真っ直ぐ目を見て(おそらく)ウンチに行くと言ってくる。済めば済んだで(おそらく)うんち出たと言ってくるのは、きっと彼なりの意地悪だ。何しろ、テーブルに皿など並べていると、いつものカリカリに飽きがきているのだろう、(おそらく)なんか美味しそうなもの用意してるじゃない、と早口で捲し立ててくるのであるから。
話しかけるタイミング、声色、気持ちの込め方をおそらく人との長い生活で学んだのだと思う。ただ言葉自体がネコ語である為、長文で話すそのお喋りのほとんどは理解できないのはロビンソン・クルーソー並みに悩ましい。
先日駅からの帰路、路地裏で慌てて逃げようとした野良猫に背中から声をかけた。猫だの犬だのに声を掛けずにいられないのは幼い頃からの癖だ。些か汚れて目やにも溜まったその小さな猫は振り返って弱々しい声で(おそらく)寒くてお腹も空いたと訴えてきた。帰る所はあるのかと聞くと、やはり弱々しい声で長く返事をしてくれるのではあるが、理解できない。
家から離れたこの場所でこの猫にしてあげられる事は何もない。せめて話を聞いてあげる事で少しでも楽になってくれればと人間都合で勝手に思う。そろそろ猫との翻訳ツールが発明されてもと思うけれど、この歯痒いコミュニュケーションが幸せな距離感なのかもしれない。